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* 安曇野春の旅 *




 安曇野に春の訪れを告げるのは、わさびの花です。わさび畑のあちらこちらに白く可憐な花が顔をのぞかせている昼下がり、博さんと幹子さんが楽しそうにサイクリングをしています。

「ちょっと風が冷たいけれど良い気持ち。桜のつぼみも大分ふくらんできたわね。」
「この早春賦の碑からみる有明山は実にいいね。有明山って「安曇富士」とも呼ばれているんだって。」
「安曇野の富士山ってことね。あらここにも道祖神がある。道祖神って五穀豊穣、子孫繁栄、縁結び、通行の安全、厄災除けの願いを掛けた神なんですって。」
「何だ、万能の神ってことか。」
「ふふ・・そういえばそうね。でも、男女一対の神ってちょっと珍しいわ。道の傍らにひっそりと佇んで人々の幸せを願うなんて微笑ましくて素敵じゃない? 厳しい戒律を説く神様もよいかもしれないけど、人々の生活に優しく寄り添うのが自然神の良さだと思うの。」
「じゃあ君は道祖神の前で結婚式でもしたら?」
「あら、いいわね。」


2人はしばらく黙って道祖神と向き合っていましたが、やがて博さんが、「ねえ、さっきそばを食べ過ぎたから、腹ごなしに豊科の白鳥湖までいってみないか。ちょうど北帰行の時期だから、きれいな飛翔がみられるよ。」と誘いました。
「そうね。天気も良いし、山もきれいだし、のんびり行きましょうか。」
甲高い鳴き声に2人が頭上をみると、一対の鳶が天空に悠然と大きな輪を描いていました。

山々は、雪を抱いているものの、木の芽はふくらみ、可憐なわさびの花が早春の風になびく田園風景の中を、2人はゆっくり走ります。
 白鳥湖のほとりで自転車を降りた2人は、穏やかな陽射しが踊る水面に近づき、沢山の白鳥が、羽を広げて優雅に羽繕いする姿や、一瞬の羽ばたきとともに、白いヴェールを引くように美しく飛翔する様子をしばらく眺めていました。

「僕もこの春からいよいよ社会人として飛翔するんだなあ。」
「何よ急に感慨深げね。先輩としていうけど、そんなにたいしたことじゃないわよ。多少の羽ならしはいるけどね。」
「何とも心強い励ましで・・・ところで、できれば・・一生僕のそばで励まし続けてもらいたいんだけど、・・どうかな・・」

 

白鳥が2羽、3羽と水面から飛び立っては舞い戻るその僅かな時間が、博さんには途方もなく長く感じられ、風の冷たさも、鳥の鳴き声も、どこか別世界のことのように思えていました。
 ふと、冷え切った手が、幹子さんの温かい手で包まれました。
「専属チアガールか・・いくつになってもチアガールでいられるのも悪くないかもね。でも、このチアガールは結構厳しいわよ」

博さんはようやく幹子さんの方を向くと、ポケットを探り、「あんまり高いのは買えなかったんだけど、・・・」と言いながら、小さな箱から銀色の指輪を取り出しました。

「何よ、こんなに大事な物をポケットに入れて持ち歩いてたの?」あきれる幹子さんに「だって今日中に言わなくちゃ・・って思ってて・・」と大慌てで言い訳する博さん。
「落としたらどうするのよ。指輪は指に付けておくのが一番よ。ほら。」差し出された左手を取りながら、博さんは「確かにこのチアガールは手厳しいや・・」とつぶやいています。
「結婚式は道祖神の前で」思わず同時に声をだした2人は、大笑いし、驚いた白鳥たちが、早春の空に飛び立って行きました。


<アミューズ>

わさびの花とクリームチーズのカナッペ
まろやかな味わいの中に、ぴりりとした爽やかな辛み。

若い2人が織りなす人生の始まり。





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