信州、安曇野、穂高、ゲストハウス・ノーサイド、スローライフ、スローフード、食の歳時記 9 月


* 9月 幻の太陽


 まだまだ陽射しが厳しい、とため息をついた昼日中、肩先にひんやりと柔らかな風を感じたら、安曇野は秋の始まりだ。照りつける太陽の力に対し、まるで意地を張るかのように大地をつかんでいた夏草も、少しずつ穏やかなたたずまいになり、夜は、その草の陰で虫が心地よい音を奏で始める。

 青々していた稲穂も黄金色の波となって、緑濃い山々に手を振るように、涼風にさわさわとそよぐ。この月は、5月についで戸外の風が心地よく、その風に木々がゆらめき、レースのカーテンに、葉影が濃く淡く、ゆらゆらと映し出される光景は、夏の疲れを癒してくれる。

 夏の疲れといえば、温泉が体に浸みるように心地よく思えるのが、今からの季節である。涼しくなると急に疲れがでてくるというが、そんなときこそ、暑さに耐えた心身をやさしくいたわり、寒さに備えてゆっくり体の調子を整えるため、温泉を活用するのが良いと思う。
 昨今温泉の問題は何かと世間を騒がせているが、その原因は利用者の要望と、温泉宿の事情と、温泉が有限・有償であり、天然資源の特性として成分は変化する可能性があること、この3点の理解不足によるものだと思う。

 温泉利用者にとっては、泉質が一定の源泉かけ流しで、24時間いつでも入れて、衛生的な温泉浴場が理想だろう。もちろん私達もそう思う。
 しかし、温泉は天然資源であるから、無駄に流し続ければ枯渇してしまうし、使用量も膨大なものになり、料金にはねかえる。そして地質の変動により、色や泉質が変化する可能性があり、また、24時間入浴可能にすれば、清掃・乾燥する時間がなく、衛生状態を保つのは難しい。

 だから、どの要望を優先する宿なのかを明確にし、かつ温泉は天然資源であることの理解をゲストに求める必要があると思う。私達は「源泉かけ流し」「衛生」「温泉資源の保護」を優先し、時間を区切った形で温泉を提供している。

 可能な限りいつでも入れる風呂が良く、特に朝風呂は欠かせない、という人は、循環方式をとりながらも衛生的な宿を探せばよいし、泉質優先に考える人は、24時間入浴可能という

宿を探すことはなかなか難しいことを理解していただければ幸である。

 そして9月は、台風の季節でもあるが、安曇野は台風の影響を受けにくい地域である。
これをご覧になった後、台風の進路に注意してみるとお判りになると思うが、台風が長野県に接近すると、必ず、太平洋か日本海側にそれる。

 原因は良く解らないが、北アルプスに阻まれるのではないかと、私達は思っている。もちろん雨などの影響はあるが、直撃されることはなく、警戒して学校まで休校したのに、穏やかな好天になったりすることも珍しくない。台風のため、取りやめにしようかと迷った末に、来館されたゲストの方など、人出の少なさや、予想外のお天気に大喜びしたものだ。
 もちろん、途中の交通機関に問題が生じる場合もあるので、台風情報には十分注意が必要だが、台風が接近してくると、今度はどちらにそれるかが、私達の関心事となるのである。

その台風の間を縫って収穫しなければならないのが「夏ハゼ」である。これはブルーベリー類の野生種で、小指の先ほどの小さな実を、木イチゴ同様下からのぞき込むようにして収穫するのだが、鮮やかな色と独特のえぐみが特徴で、ジャムやソースに使う。
 私達はとても生では食べられないと思っていたが、あるとき年輩のゲストが「私達は昔よく食べたものよ。「知らない叔母の家へ行くなら秋の山へ行け」という言い伝えがあるくらい、秋の山はいろいろ食べ物があるのよ」とおっしゃっていた。

(写真は夏ハゼ)

9月にはいると、M青果の店頭は、夏の名残の青果と、秋の始まりを告げる青果が居場所を奪い合う。
 夏の名残の代表には、プルーンなどのスモモ類と並んで、ワッサークイーンという、珍しい果物がある。これは、ネクタリンと桃が偶然交配してできた果物で、桃の風味とネクタリンの酸味と日持ちの良さ、双方の良いところがバランス良く合わさった果物である。

 スモモ類もM氏が名前を覚えきれないくらい、様々な種類が入れ替わり登場するので、ゲストから「このスモモがおいしかったのでお土産にしたい」という要望があっても、スーパーに売っていないのと、数日で店頭から消えてしまうので、お応えできないのが残念である。

 その中でも特に美味なのが、薄い赤褐色の皮をした「太陽」というスモモである。凝縮された甘味とほんの少しえぐみを感じる酸味がほどよく調和した風味豊かな果物で、この「太陽」には忘れられない思い出がある。

 ある年、M青果にプルーンらしき果物が無造作にビニール袋に詰められてあった。「これプルーン?」と聞くと「太陽の酸っぱいやつ。ジャム用」とM氏は忙しそうに答えた。少し迷ってから1袋買い、煮てみたところ、果肉はこれが猩々緋という色かと思わせる鮮やかな赤色に変化し、控えめだが、しっかりと主張のある酸味を持つピュレとなった。

 あまりの素晴らしさに、翌朝再びM青果に車を飛ばし、店頭の小さな太陽を買い占めた。ソースに良し、お菓子に良しで、このピュレでケーキを作ったとき、ゲストに作り方を尋ねられたので、小さな太陽のことを説明すると「そんなスモモは手に入りそうにないわ」と残念そうだった。

 以来毎年「小さな太陽」は出回らないか、とM氏をせっつくのだが、お目にかかれない。  こうして「小さな太陽」は「幻の太陽」になってしまった。そして、りんごの実りの一番手「つがるりんご」を手に取りながら、再び会える日を夢見ているうちに9月は終わる。





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