信州、安曇野、穂高、ゲストハウス・ノーサイド、スローライフ、スローフード、食の歳時記 8 月


* 8月 冷蔵庫のVIP


 真夏を迎えた安曇野は、太陽が大地の隅々を惜しみなく照らし出す。
大きな工場地帯を持たない長野県は、空気がひときわ澄んで、日中の陽射しもことのほか力強い。しかし朝夕はひんやりと過ごしやすく、空気も乾燥してとても心地よい。
そしてこの寒暖の差が、野菜や果物の中に素晴らしい風味をもたらすのだ。

 夏草が生い茂ると、畑を借りていたことを思い出す。ここに開業して間もない頃、農作物を植えてみたいと思っていたら、とても親切な人が、無償で日当たりも土壌もすばらしい畑を貸してくれた。
 数年努力してみたが、高々と伸びた雑草の中に、収穫らしき野菜がかいま見えるというあまりの惨状に、近所の人が憐れんで、自分の畑の収穫をわけてくれる、(その量のほうがずっと多かった)という状態が続き、あまり雑草だらけにしておくと、近隣の方にもご迷惑なのでお返しした、ということがあった。

 農業の玄人が、夏に作業する時間は朝6時から8時、夕方4時から6時くらいの間で、夏陽がカンカンに照りつける時間帯に畑にでていた我々は、まさしくドシロウトそのものであったが、この仕事をしている限り、玄人の時間帯に畑にでかけることは難しいので、あきらめたのである。
しかし、農業には挫折したものの、食べ物を作る大変さや、自然は人間の都合に合わせて動いてはくれない、という当たり前のことなどを実感し、大変貴重な経験をさせてもらったと感謝している。

だからこの時期、特に小さいお子さんを連れたご家族は、田舎を旅行する機会があったら、生産者の迷惑にならない範囲で、食材そのままの姿を是非見て欲しい。キャベツは千切りで畑に並んでいるわけではなく、魚の切り身は泳がないのだから・・・(写真は沖縄まで渡るアサギアゲハチョウ)

そしてもし、8月に安曇野を訪れたら、夕立に注意して欲しい。どんなに天気が良くても、5時を過ぎた頃から、ものの5分で空に黒雲が広がり、滝のような雨に見舞われることがあるからだ。
もちろんこれは安曇野だけではなく、近頃は都会の夕立もすさまじいようだが、ひらけた場所の多い田舎では、なお気をつけた方が良いと思う。

 さて、夏の野菜は種類こそ少ないが、その美味しさは筆舌に尽くしがたい。トマトやキュウリを口に運ぶと、まさに体全体が「おいしい!!」と叫んでいるようである。不思議なもので、これを真冬に食べても多分「冷たい!!」としか思わないだろう。
 以前若い女性のゲストが「トマトってあんまり好きじゃなかったけれど、こんなにおいしいとは思わなかった」と、言ってくれたことがあった。もしかしたら彼女は昔、寒い時期にまずいトマトを食べたのかもしれない。

 食べ物を嫌いになる理由はただ一つ(もちろんアレルギーは別)過去に「まずい思いをした」ということに尽きる。だから、好き嫌いの多い人は、大人になったら、きちんとしたお店で、嫌いな食べ物をもう一度試みることをお薦めする。これは好き嫌いの多い当館の料理人の経験である。

 トマトといえば、M青果のご主人は大のトマト好きで、市場では必ず試食して買ってくる。トマトを箱買いしようとすると、奥さんが「あ、ちょっと待って。まったくもう!とうちゃんは、またつまみ食いしたな。ほんとにトマトが好きで好きで・・・」と、箱にぽっかり開いた不自然な空白にトマトを足しながら、苦笑いするのが毎夏に繰り返される会話である。
 だから、この店のトマトは世界でも指折りのおいしさだと私達は思っている。なぜなら、日本の野菜の質は、フランスの三つ星レストランのシェフ、ミシェル・ブラス氏も「日本は野菜王国だ」と、うらやましがるくらい上質だからだ。

 また、夏日をたっぷり浴びた高原レタスは、畑から切り取られた芯のところから、乳白色の汁が滲みだしているほど新鮮だ。近頃ビルの地下で無農薬栽培されている、工場レタスを食べなければならない人達が本当に気の毒だ。ちなみに塩尻に広がるレタス畑の一部は、平安期に荘園だったそうで、そういわれると、レタスから何だか雅な味がしてこなくも、ない・・・?

M青果はこの時期だけ地元豊科町のタマネギを仕入れる。このタマネギは甘く、みずみずしく、まさに特産品というだけのことはある。しかし、M青果は必ずしもすべての野菜を地元から調達しているわけではない。ジャガイモは主に北海道だし、タマネギも夏を除けば淡路あたりから仕入れてくる。彼は、その季節に最も美味しい産地の野菜を買ってくるからだ。だから、ここでM氏が仕事を続けてくれる限り、私達は、ほぼ世界一美味しい野菜を食べることができる。

しかし、最近は、今まで教えてくれたことのない、美味しい野菜の選び方などを話してくれたりする。それはうれしいのだが、後継者のいない彼が、引退を考えて始めているのかと思うと少々寂しい。確かに朝3時に起きて市場に出かけるのは本当に大変なことだ。M氏が引退したら、料理人も一緒に引退しようかと、ふと考えてしまう今日この頃である。

 暑くて汗をかくこの季節は、調理の際、塩分に最も注意を払わなければならない。味つけをシンプルにすればするほど、大切なのが塩の量である。

 私達は大汗をかきながら一日中働くが、ゲストの方は、エアコンの効いた車で過ごしていることも多くなった。
だから自分がちょうど良い、と思うより、やや控えめの量にしておく。しかし、登山などスポーツをしてきたゲストには、物足りないと感じられるかもしれないので、私達はテーブルに、塩・胡椒をセットしてある。おいしいと思う基準は千差万別なので、最後は自分で調味するほうが食事を楽しめるからだ。

 昔、織田信長が、京都の料理人に料理を作らせ、食したところ「こんな水臭いものが食べられるか!」と怒ったので、その料理人は、味付けを濃くして再度献上したら、信長は大変満足し、その料理人は「やはり信長は田舎大名だ」と断じた、という逸話があった。
 しかし、日がな一日、短歌を詠みつつ琴や笛を奏で、運動といえば中庭で鞠など蹴り、お出かけはいつも輿に乗って、という雅な公家衆と、重い鎧をぶらさげて、朝から晩まで馬を駆り、野山を走りながら、槍や刀を振り回す戦国大名が、同じ料理をおいしいと思うはずはないのである。

 そして夏といえば西瓜、信州では西瓜といえば下原西瓜である。波田町を生産地とするこの西瓜は「日本農業大賞」を受賞し、暑さが増してくるとその独特の甘味が恋しくなる。M青果では、下原西瓜の中でもM氏が「この人のなら間違いない」と、生産者を指定して買ってくる。生産者は指定できないものの、お土産に購入を希望するゲストには、忘れてはいけない目印をお教えしている。

 M氏の仕入れの中でも、生産者を指定して買ってくるものは逸品だ。M氏は「新しく別の人のを仕入れてみたが、この品質でこの値ならお買い得だ」という。ワインでいえば、グラン・クリュのセカンドラベル、つまり、グラン・クリュの本質をリーズナブルな値段で味わうことができるような品を、M氏は探しているのだ。ちなみにノーサイドも、そのような宿でありたいと努力している。

 その下原西瓜も、M夫人の「西瓜も盆を過ぎると売れなくて」というつぶやきとともに姿がまばらになる。信州ではお盆を過ぎると急に涼風が立ち、西瓜、花火、冷やし中華が店頭から「秋の扇と捨てられて」という具合に消えてしまう。その瞬間、私達が待ちわびた「川中島の白桃」が出始める。

 川中島の白桃は、もちろんあの「川中島の合戦」の行われた地域で生産される桃で、お盆明けのほんのわずかな期間しか出回らない。清楚でかぐわしい、文字通り桃色の皮に、そっとナイフを入れると、吸い付くようなきめ細かな果肉が果汁をたたえ、蜜のごとく濃い甘味、ほのかな酸味、隠し味のように、ほんのわずかなえぐみが一体となったその味は、思い出すと恍惚となる、まさに「桃の王様」といえる。

 最近では、私達これ以外の桃はほとんど口にしない。桃というのは、固かったり、ただ水っぽかったり、案外当たりはずれが多いが、この桃なら大丈夫だ。しかし、川中島にもいろいろランクがあるらしく、以前ある業者が桃を買ってくれとセールスに来たが、見た目の輝きから少々首を傾げ、さらにM青果の桃と食べ比べてみたら、勝負にならなかった。これもまた、お土産に買うときの目印があるが、やはり価格と品質は比例するようだ。

 ご存じのように桃はとても傷みやすい。だから、私達はできるだけ傷みを少なくするため、箱で仕入れ、冷蔵庫で保管する。桃ができるだけ居心地の良いように整理された冷蔵庫に、それは丁寧にしまわれ、上下左右とも風通しの良いような状態を保つようにする。こうして川中島の桃は、夏蝉が鳴きやむ頃、最後の一つが終わるまで、冷蔵庫のVIPとして、丁重な扱いを受け続けるのである。





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