* 7月 雨の楽しみ
7月の初めはさすがの安曇野も雨が多い。しかし、都会に比べれば格段に過ごしやすいし、雨粒に揺れる木々の葉を眺めながら、土に響く優しい雨音を聞いていると、不思議に心が落ち着き、「雨もいいな・・・」と思えてくる。 それに、この時期に雨が降らなければ、米を始め作物は枯れ、食料問題になってしまう。
もし、しとしと降り続く雨が夕暮れ前に上がったなら、しばらくは窓から離れられなくなる。薄く靄のかかった中に、濃く淡く、夏色の緑に染まった広葉樹の葉が、くっきりと浮かび、幻想的な風景が描かれるからだ。
静かにゆっくり暮れゆくこの時間は、夕食時、ダイニングからの眺めが一年のうちで最も美しく「ここで、私達も誰かにサーヴィスしてもらいながら食事したい」と、思うこともしばしばだ。 自分たちが泊まりたいと思う宿を作ったものの、そこではサーヴィスしてもらえない、ということに気づいたときは遅かった。今の夢は、引退後ここに泊まり、誰かが創る安曇野の郷土料理を楽しみつつ、くつろぐことである。
そして、夜中にざあざあ雨が降っているなら、翌朝は早めに目を覚ましたい。雨上がりの日の出には、木々を飾る雨粒の宝石を無限に数えることができるからだ。 黒く湿った木肌を、射抜くような夏の陽を浴びながら、きらきらと輝く無数の水滴は、まぶしくて見ていられないほどだ。写真家は雨上がりの風景を狙う、という話を聞いたことがあるが、確かにこの瞬間を待つ価値は十分あると思う。さらに、生命力あふれる夏草から立ち上る、雨上がりの空気は、イオンをたっぷり含んで、体に最も良いそうだ。こうしてみると雨降りも悪くはないと思えてくる。
また、この時期は2月同様、全国の天気予報で安曇野地域は反映されない。2月のところでも説明したが、長野県地方が傘マークでも、安曇野は気持ちの良いお天気ということがしばしばある。 地形が複雑なせいか、日本の天気はわずかな地域の違いで、全く異なるのだから、気象庁も本当に大変だ。
降っても晴れても楽しめるのが自然の良いところではあるが、外が雨降りのときは、やはり食べることが楽しみの大半を占めるので、冬とともに、お料理には特に力を入れている。
7月に入ると、まず気にかかるのが庭の木イチゴの様子である。オレンジ色のビーズ細工のように可愛いのだが、その棘たるや飛び上がるほど痛い。おまけに実が全部下を向いているので、腰をかがめつつ、下からのぞき込むようにして、採らなければならない。 甘い果物が全盛の現代、人によっては「美味しい」とは思えないかもしれないが、本当の野生種苺の味わいがして、私達は気に入っている。
さらに、7月上旬のほんのわずかな間、千曲市(更埴市)の杏狩りが楽しめる。花の時期ほど人出がなく、橙色の杏が、たわわに実った木々はなかなか壮観である。
しかし、日本の杏はやや水分と酸味が多く、殆ど加工用なので、その場で食べられる数には限りがあるかもしれない。それに、杏の実はとても痛みやすいので、生で食べられる機会は本当に限られていて、生杏のタルトが食べられた年はとても幸せだ。(写真は生杏のタルト)
この時期はM青果の奥さんの「もう、物が痛んで痛んで・・・」というぼやきがしばしば聞かれる。ある年、箱の周りに小さな虫がたくさん飛んでいたのを教えてあげたら「ああ、何か痛んでるんだ。でも、こうしてブンブン(虫のこと)がそれを教えてくれるから」との答えには、思わず目から鱗が落ちだものだ。
今まで、虫といえばうっとうしいとしか思っていなかったが、なるほど、彼らに勝るセンサーはないだろう。
M青果のご主人も「まったくなぁ。虫の付かない無農薬野菜なんてないんだよ」という。 虫がつく、とか、カビが生える、ということはその食べ物が安全であることの証明なのだ。しかし、虫がつかないから、といって危険かというと、そうともいえない。
あるとき苺の苗を少しばかりもらったので、とりあえず、庭の片隅に植えて置いた(埋めて置いた、という方が正しいかもしれない。) 最初の年に実がなったと思ったら、裏側をしっかり蟻に食われていた。その次の年もまた次の年も蟻に食われていた。
もともと日当たりの良くない場所に植えたのに加え、ろくに肥料もやらずに数年が過ぎたある年、苺が蟻に食われず残っていた。嬉しくて早速食べてみると、形は苺でも味は似ても似つかぬ今までに体験したことのない酸っぱさが口に広がった。
そう、もはや蟻にも見放されたまずさだったのだ。「虫もつかない」とはまさにこのことで、以来苗を日当たりの良い場所に移し、出きる限り手入れをするようにした。 数年は蟻の師匠に見向きもされなかったが、ある年、再び蟻に食われていて大いに喜んだ?ものだ。
夏の盛りを迎えると、蟻たちは砂糖のわずかな一粒を見つけては、時折厨房に出没する。その様子はまるでテレビドラマにでてくる意地悪な姑のようだ。そんなときは「お掃除が行き届かず申し訳ございません」とか言いながら、砂糖を片づけ、外へお引き取り願う。
そんなことが続き、厨房に出入りしづらくなったせいか、今度は甘くて美味しそうな匂いのするゲストルームを訪問するようになってしまった。
困ったことに彼らは博愛精神が旺盛で、美味しいものは皆で分かち合うべく、仲間も大勢呼んでしまう。
だから、特に暑い時期、ゲストの方々には飲物等の管理に注意をしてもらっている。私達は未熟者ゆえ、先住者である彼(彼女?)らにはなかなか意見することができないもので・・・・
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