* 11月 タライで泳ぐディナー 林の中に佇んでいると、カサリ、と微かな音がするので振り返ってみる。すると、枯葉が、枝や木肌に触れながら、別れを惜しむようにゆっくりゆっくり落ちていった。 柔らかな陽射しは、まばらになった枝先の枯葉を金色に輝かせ、光の紋様を描きながら、穏やかに木々と戯れる。巡る季節の中で、太陽が最も自然と調和し、しっとりと落ち着いた大人の優雅さを漂わせる時だ。 この時期は唐松の紅葉が素晴らしく、西日を浴びて黄金色に輝く姿は、美しい夢そのものだ。晩秋の安曇野は、詩的、絵画的情景に満ちている。 日本の果物は、本当に味が繊細で豊かなので、ケーキやタルトにする場合でも、生で使うのが一番美味しい。もちろん火を通しても良いのだが、折角の風味は半減してしまう。 晩秋は動物たちが脂肪を蓄え、旨みを増す季節だが、最近四賀地区の人から合鴨購入のお話があった。 合鴨は飛べないので、野に放っても犬や狐に食い荒らされてしまうらしく、毎日田圃を泳いで健康的に過ごしているし、せっかくお米を作るのに協力してくれたのだから、最期まで面倒をみてあげたいとのことだった。 鴨肉は独特の香りを持ち、好き、嫌いはあると思うが、池田町の農業グループで生産しているハーブや、いろいろな野菜と組み合わせると、香りも抑えられ、野菜の風味も引き立ち、特にワイン好きのゲストが喜んでくれた。
これからは鹿などの野禽類(ジビエ)にも少しずつ挑戦し、食べやすい形で提供できるよう工夫を重ね、狩猟の文化を伝えるとともに、食文化のバリエーションを広げていければと思う。 信州は食材の宝庫であり、生産者が小規模ながらいろいろな取り組みをしている。それらを探しだし、上手にコーディネートしてゲストに楽しんでもらうのが、地方の飲食・宿泊業の大切な役割である。 現代では様々な種類の飲食店があるが、食に関して最高の贅沢は「家庭料理」だと私達は考える。なぜなら、年によって微妙に変わる旬を逃さず、その日の気候、食べる人の体調やその他の事情に応じた料理が食べられるからだ。(「今日は寒くて風邪引いたからお粥にして」とか)料理には「誠意と親切」が欠かせない、といった人があるが、その究極の形が家庭料理だ。 その数だけスタイルがあるほど、料理人の考え方はさまざまで、食材と対峙し、食通を唸らせることをやりがいと思う人もいれば、代々受け継がれる味を守らなければならない人もいる。しかし、どんなにすごいテクニックや知識の下に作られた料理でも「誠意と親切」が欠けていれば、料理人の傲慢を象徴する、冷たい料理になってしまうと思う。 だから私達は、常に家庭料理の温かさを忘れず、「女と自然には逆らうな」というM氏の忠告の下、自然の恵みである食材にひれ伏し、その声を聞いて対話を重ねながら、テーブルに安曇野の自然が見えるように調理することを心掛けている。そして、ゲストの皆様が食事を楽しみ、幸せな気分を味わって下されば、望外の喜びとなるのである。 さて、11月も半ばを過ぎると、M青果に、全国各地へ発送予定の「ふじりんご」の箱が山のように積まれはじめ、千変万化していたりんごの品種も、いよいよ「ふじ」で打ち止めとなる。蜜の入った甘味と程良い酸味のバランスは素晴らしく、シャキシャキというしっかりした歯ごたえとみずみずしさは、さすがにりんごの王様と呼ばれるだけのことはある。日持ちの良さも「ふじ」がご贈答に好まれる一因だろう。 |